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巾着田

 埼玉県日高市内を流れる清流、高麗川(こまがわ)の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形 がきんちゃくの形に似ていることから、巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになりました。
埼玉県日高市内を流れる清流、高麗川(ニまがわ)の蛇行により長い直径杓う00メートル、面積約22ヘクタ ールの川に囲まれた平地には、菜の花、コスモスなどの花々が咲き、中でも秋の曼珠沙華(まんじゆしゃげ) 群生地は辺り一面が真紅に染まり、まるで赤い絨毯(じゅうたん)を敷き詰めたようです。毎年多くの人がその 美しきに惹かれて訪れます。

武蔵横手神社

 武蔵横手神社「武幡横手神社」は貞観12年(870)の創建と伝えられている。当初八幡神社と称していた。 貞治2年(1363)に武御名方命(タケミナカタノミコト)を併祀して諏訪大明補と呼ばれるようになったが、 明治元年(1868)に武蔵横手神社と改めた。 祭神に誉田別命(ホンダワケノミコト)と武御名方命(タケミナカタノミコト)を祀っている。

龍泉寺

 賓雲山観音院と号す。新義真言宗、京都小室仁和寺の未なり。本尊不動を安ず。慶安2年観音堂領9石 の御朱印を賜ふ、当寺は萬寿元年の草創なりと云。開山開基を傅へず。古き過去帳に、大般若及天台四教共に 箱に入れ、小田原落城の節(とき)松田左馬助慈(これ)に納むとあり。此大般若及天台四教、皆いずれも散逸して 今はつたえずと云。

観音堂

 萬寿2年道立すと云傅ふ。観音木の坐像長1尺4寸、脇立不動毘沙門木の立像長l尺5寸、28部衆木の 立像l尺5分、風神雷神木の立像長5寸5分、ともに熱田の作と云。その名詳ならず総てこれを空殿のうちに安ぜるなり。              (新編武蔵風土語稿より)

     【÷-部引用:ウイキペティア・各種パンフレット・他】

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